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東園寺所蔵書画

雲居希膺禅師法語「祖域花期千歳笑、仙臺松逐四時榮」

「大愚禅師 生死事大 無常迅速云々」

擧。古徳上堂云、吾此大聖人之道、不在有言、不在無言、又不礙有言、不礙無言。不可以有心知、不可以無心得。寂而妙、虚而靈也。恢恢焉、晃晃焉。諸佛出世、爲一大事因縁。祖師西來、直指人心、見性成佛。大心衆生、夙薫佛種、一超直入如來地。是故靈光洞耀、共贊皇家、萬國歡心、同仰舜日。且知恩報恩底一句、作麼生道。一人端拱無爲化、界開敷五葉花矣。謹諮詢滿堂諸位禪師、一人端拱無爲化、爲什麼界敷五葉花。請各道將一句來。膺闍梨打一偈曰、自愧老來無伎倆、雇他雲衲當人情。賢君仁政救群類、諸佛慈言度衆生。祖域花期千歳笑、仙臺松逐四時榮。滿堂緇素總歡喜、珍重堯風舜日清。
前花園叢中現松島岩畔把不住軒主。

訓読
挙す。古徳、上堂して云く、「吾が此の大聖人(だいしょうにん)の道は、有言に在らず、無言に在らず、又た有言を碍(さ)えず、無言を碍えず。有心を以て知る可からず、無心を以て得る可からず。寂にして妙、虚にして霊なり。恢恢焉(かいかいえん)たり、晃晃焉(こうこうえん)たり。諸仏の出世するは、一大事因縁の為なり。祖師西来して、直に人心を指し、見性成仏せしむ。大心の衆生のみ、夙薫(しゅくくん)の仏種、一超して直に如来地に入る。是の故に霊光は洞耀(とうよう)し、共に皇家賛え、万国歓心し、同じく舜日を仰ぐ。且らく恩を知り恩に報ゆる底の一句、作麼生道わん。一人端拱(たんきょう)して無為にして化す、界(へんかい)開敷(かいふ)す五葉の花」と。謹んで満堂の諸位禅師に諮詢(しじゅん)す、一人端拱して無為にして化すと、什麼と為(し)てか、界、五葉の花を敷く。請う、各の一句を道い将ち来たれ。膺闍梨、一偈を打して曰く、
自ら愧ず老来にして伎倆(ぎりょう)無きことを、他の雲衲を雇って人情に当たらしむ。賢君の仁政は群類を救い、諸仏の慈言は衆生を度す。祖域、花は千歳を期して笑(さ)き、仙台、松は四時を逐って栄ゆ。
満堂の緇素、総に歓喜し、珍重す、堯風舜日の清きを。
前花園叢中、現松島岩畔把不住軒主。

訓読は『雲居希膺禅師法語「祖域花期千歳笑、仙臺松逐四時榮」』(能仁晃道師著)による。同著によれば古徳とは松源崇嶽禅師の語録からの引用とのこと。現今の政治の混乱ぶりから見ると「一人端拱(たんきょう)して無為にして化す、界(へんかい)開敷(かいふ)す五葉の花」(君主が手を拱き無為にして人民を善に化せば、全世界に五葉の花が咲く)という言葉が痛切に感じられる。端拱というのは、端(ただし)しく、手を胸の前で重ね合わせること。つまり小手先の手法を使う事無く、虚心坦懐にして人民に接することを善としているのである。全く小手先の手法と保身のみに執する現代の政治家に送りたい言葉ということになる。しかし、もう一つ忘れてならないことは、自分自身の心と行動にて「一人端拱(たんきょう)して無為にして化す」を実践することである。

「自ら愧ず老来にして伎倆(ぎりょう)無きことを」と述べている割には、若い書であると思われる。瑞巌寺に縁を得て間も無き五十代半ば頃の作品か?書体に乱れが無く、綿密にして持戒を重視した雲居禅師の家風が書に顕れているような作品である。
サイズ29.3cm×79.8cm横物の大幅!!

 
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