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東園寺では昭和四十二年より従来行われていた棚経(たなぎょう)を廃止し、檀信徒の方々に寺にお参り頂いてお盆の供養を行っております。お盆とは「逆さに吊るされる苦しみ」を意味する盂蘭盆(うらぼん)という言葉を略したものです。盂蘭盆経によれば、盂蘭盆とは七代前までのご先祖様が倒懸(上記のさかさまに吊るされる苦しみ)の苦しみを味わうことなきよう、また父母が現存しているときは、この父母が百歳の長寿を全うするように、雨安居という3ヶ月の修行を終えられ心清らかになられた僧侶に供養することであります。今日の法要では盂蘭盆会の法要と施餓鬼会(せがきえ)と呼ばれる法要が混交し、臨済宗でなされるお盆の供養は施餓鬼法要をもってお盆の供養に当てることになっております。施餓鬼とは六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の中でも三つの悪い世界の一つに数えられる餓鬼道のものを救う法要で、お釈迦様の弟子である阿難尊者(おくなんそんじゃ)が餓鬼に三日の命であることを告げられ、これを回避するためにお釈迦様の教えにしたがい行われたとする法要で、直接盂蘭盆会とは関係がありません。しかし盂蘭盆会は、餓鬼道に落ちた母を目連尊者(もくれんそんじゃ)が救う為にお釈迦様の教えにより行った法要が起源とされますので、餓鬼を救うという意味では盂蘭盆会と施餓鬼会が結びつくのは決して不自然なことではありません。餓鬼道とは飲食がままならぬ世界であります。神通力に長けた目連様もやせ衰えた母に食物を運びますが、母が口にしようとすると、たちどころに食物は炎に包まれ炭になってしまったと盂蘭盆経には記載されています。このように餓鬼の世界は食物を得るのにままならぬ世界でありますが、それだけに食に対する欲望はとても多いのだそうで、餓鬼が図示された場合に喉が非常に細く、またお腹が非常に膨らんでいるように描かれるのは、欲望が大きく食が得がたい事を意味しています。(もっともこの餓鬼の描写は実際に飢餓に苦しむ人々がモデルになったであろうことは想像に難くありません。)餓鬼道は私利私欲が強く、他に施しをせずに人生を送った者が落ちる世界であると説かれます。七如来とはこの餓鬼道に落ち苦しむ者を救う佛様です。お盆の期間中は、十二日の法要で開眼された七如来の名号を施餓鬼棚あるいは仏壇の本尊として頂き、自らの先祖のみならず広く餓鬼幽霊を救うおつもりで供養して頂ければ幸甚と存じます。
七如来の功徳
○寶勝如来 若しもろもろの仏弟子が寶勝如来の名を聞けばその積み重ねられた罪業を消滅する
○多寶如来 若しもろもろの仏弟子が多寶如来の名号を聞けば、よくその財産を満たし尽きることがない。
○妙色身如来 若しもろもろの仏弟子が妙色身如来の名号を聞いてこれを常に心にとどめれば、鬼のような醜い姿を破り素晴らしい美貌を獲得できる。
○廣博身如来 若しもろもろの仏弟子が廣博身如来の名前を称えれば、餓鬼のごとき細い咽が忽ち広くなり、今まではのどが詰まり頂けなかった飲食甘露味を頂戴することが出来る。
○離怖畏如来 若しもろもろの仏弟子が離怖畏如来の名号を聞けば、常に安楽を得て永く驚怖を離れて清浄快楽となる。
○甘露王如来 甘露王如来の名号を唱うれば、無数の餓鬼は素晴らしい飲食を頂くことがなくとも、佛のありがたい教えを絶妙の飲食として悉く苦難をまぬがれる。
○阿彌陀如来 もろもろの仏弟子が若し阿彌陀如来の名号を聞けば、西方極楽世界に往生しめ蓮華に生じて不退転の信心を得ることが出来る。 |