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法螺貝 住職の法話

平成十九年二月発行

『 涅槃会 』

 二月十五日は涅槃会、お釈迦さまがお亡くなりになった日であると信じられています。涅槃とはインドの古代語のニルバーナを訳したもので「炎が吹き消された状態」という意味であります。元来ニルバーナとは悟りを意味する言葉でしたが、死によってすべての感覚器官の苦痛からも開放されたという意味で、お釈迦さまの死を無餘涅槃(完全な涅槃)と呼ぶようになりました。お釈迦様は三十五歳で悟りを開かれて仏となりますが、肉体的には病気もする普通の人間でありました。晩年のお釈迦さまの姿を伝えるお経には、年老いたお釈迦さまが弟子に支えられ、背中の痛みや腹痛をこらえて旅をする様子が画かれています。最終的には赤痢のような病気がもとでお釈迦様は八十歳の人生を終えられますが、その最期は多くの弟子や友人達に囲まれた幸福なものでありました。
 お釈迦様は死の三ヶ月前にヴァイシャリーという場所で自分の死を予見し、弟子にこれを告げます。ヴァイシャリーを後にするお釈迦様は何度もこの町を振り返り、「ヴァイシャリーの町は美しい。」と何度も仰います。私も数年前にこのヴァイシャリーを尋ねましたが、美しい山があるわけでなく、きれいな川があるわけでもありません。お釈迦さまが事物を美しいなどと褒めるということは非常に珍しいことなのですが、死を覚悟し、弟子に後事を託した安堵感から出た言葉が「ヴァイシャリーは美しい。」であったのだと思います。  
死の恐怖から出家したお釈迦さまは八十になり、身体は病みつつも、愈々美しい境涯を築き、周りの者に安心を与えつつ、最期を迎えます。そしてその教えは滅後二千四百年以上も経た現在もその光彩を放っているのです。
臨済録という書物にはお釈迦さまも我々も同じ人間である。仏と呼び覚者と呼んでも肉体的には究極の存在でない。私たちは仏をただ崇め尊ぶだけではなく、自らも仏と別の存在ではないことを信じ努力すべきであることが説かれています。

 
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