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法螺貝 住職の法話

令和五年六月発行

「報恩の日」

 6月20日は四代仙台藩主伊達綱村公の御命日です。綱村公は伊達騒動の渦中に藩主となられた方で、とても信心深く鹽竈神社を始め、多くの寺社を復興修繕しました。特に鹽竈神社に関しては諸説あった祭神を学者達に研究させた上で現在の三神(塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神)に定め、これに基づき現在の社殿建築を元禄8年(1695)に開始します。祭神を明確にして建築を始めさせるというところが、信心深く、学問を大切にされた綱村公のお人柄を偲ばせます。
さて、伊達家は藩祖政宗公以来、新田開墾や治水対策に尽力し、これによって得られる実りを効率良く流通させる為に運河の整備を行いました。しかし、この一環として造られた御舟入堀が寛文10年(1670)以降に実運用されると、多くの荷は蒲生御舟入へと回り、港町塩竈の荷揚げが極端に減少してしまいます。
荷揚げの減少と共に大火なども重なった為、塩竈の活気は失われ、神社の祭礼にも影響を及ぼします。塩竈村民はこれを打開すべく新たに祭り(帆手祭)を設け、神社の威光にすがり町に活気を取り戻そうと企てます。上記の通り鹽竈神社に対し篤く崇敬する綱村公は貞享2年(1685)、特令を下しこの動きを援助するのです。
 貞享特令とは塩竈を藩直轄地とし、これに課せられる年貢を屋鋪の持高に応じて分配する事、次にこの年貢分の金子に加えて年250両の金子を社寺や村民に分配下賜する事、7月10日から8月14日まで毎年小荷駄日市を立てる事、毎年3月と7月に物見芝居の興行を許可する事、商人荷物、五十集(いさば)船、材木船の荷物はすべて塩竈に着岸する事、市川、山王の入作地の年貢も免除する事、本年貢以外の諸役も免除する事、開墾した新田(鷹巣入江)の民の食として用いて良い事、月6度の市を立て物流を盛んにするという9箇条で、財政支援に加え町の活性化を狙った他の地域には見られぬ保護政策でした。もちろんこのお恵みに対し塩竈村民は鹽竈神社護持の責任や浜役等を負う訳ではありますが、この恩恵の効果は絶大で塩竈は門前町としても港町としても大いに繁栄するのです。またこの貞享特令は肯山公一代のみならず一部の見直しは行われたものの、5代吉村公以降も連綿として幕末まで維持されました。
 享保4年(1719)、綱村公が薨去されると塩竈村民は大いに悲しみ、藩に願い出てそのお位牌を東園寺に安置し、ご命日の前晩の法要である宿忌をお勤めし、翌日は有志が肯山公菩提寺である仙台大年寺に墓参し献花するという行事が営まれるようになったといいます。
 江戸期から続く綱村公を偲ぶ法要は東園寺檀信徒と幼稚園の園児を中心に今日も続けられています。園児の皆さんには難しい歴史の話は理解し難いかもしれませんが、この町の発展の為に力を尽くしてくださった殿様がいて、多くの庶民達も一所懸命に努力して神社や町の繁栄を支えて来たことを感じて欲しいと思います。

塩釜中央幼稚園保護者宛冊子『おさなご』より
 
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