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法螺貝 住職の法話

平成三十年七月発行

「伊達綱村公三百年遠忌 その3」

 前述の通り寺社崇敬の念篤い肯山公は塩竈神社だけではなく、初期黄檗の傑僧鐡牛道機禅師を開山として大年寺を開創、従来の伊達家の菩提寺である瑞巌寺の系統では通玄法達禅師を開山として燕沢善応寺を建立、伊達家の影響下にあった平泉には義経堂等々、多くの寺社を建立保護しています。
 一般的な肯山公の評価ではこのような施策より藩の財政が悪化し、最終的には藩主の座を追われたとされますが、肯山公が保護した塩竈神社と塩竈村は庶民の旅が一般的になった時代、隣地である松島を含めて藩内観光地の一大拠点となり、多くの寺社が肯山公の保護を元に今日迄法脈を保ち、それぞれが地域の民の拠所となっているのです。
 また、本稿で触れる事柄ではありませんが、茶文化の興隆、これに伴う堤焼きや切込焼きの発展にも肯山公が関係し、袴の最高峰である仙台平も肯山公の時代に藩御用品生産の為に織職人を召し抱えたのが始まりとされ、仙台市民や宮城県民が花見を楽しむ榴岡公園も肯山公が民の為に馬場を解放して桜を植えた事を嚆矢とします。このように肯山公の業績は今も尚、多くの旧伊達藩領地に生活する者の糧となり、その恩恵に浴する者は少なくありません。今日の政治家が三百年の民に何らかの恩恵を与えられるかを思えば、如何に肯山公やそれを支えた家臣の偉大さが理解出来ようかと存じます。
 肯山公には禅に真摯に参じた求道者という一面があります。肯山公の禅修行のあらましは『如幻三昧集』に詳らかですが、これによれば肯山公は黄檗派の鐡牛禅師、鳳山禅師、香國禅師、瑞巌寺関係の通玄禅師、天嶺禅師、定嶽禅師等と交流して禅境を深め、宝永六年(一七〇九)鳳山禅師から禅門の免許皆伝である印可を許されるほどの力量を有していました。肯山公の一途なまでの塩竈神社及び塩竈に対する外護や他の寺社の保護、余人から見れば依怙地とも映る信念は、偏にこの参禅により培った胆力に基づくものであったと小衲は理解致します。肯山公三百年遠忌に当たり東園寺では公の尊像を刻み、前述『如幻三昧集』の訓注本を出版して報恩の誠を尽くしました。これらの記念事業は東園寺檀信徒の大多数を締める塩竈市民の浄財を基としたもので、いわば今日も塩竈市民が肯山公の恩徳を忘れていない事の証です。(つづく)

 
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