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法螺貝 住職の法話

平成十七年十二月発行

『 十二月八日はお釈迦様のお悟りの日 』

 お釈迦様は二十九才で城を出て修行者となられ、三十五才で悟りをお開きになりました。お釈迦様は生後七日目に生母マーヤさんを亡くしていることも影響してか、少年時代から思慮深くおとなしい方であったことが伝えられます。

 お釈迦様が修行者となられた理由は老病死に対する恐怖からであったといわれています。出家されたお釈迦様―ゴータマ・シッダルッタ王子はインドの伝統的な苦行により、老病死に結縛されない永遠の命を得ようとします。苦行の最たるものは呼吸を止める行でした。すでにあらゆる食物を断っておられたお釈迦様の体は、贅肉など一片も無くお腹から背骨が触れる程でした。また落ち窪んだ眼はあたかも深い古井戸の水面に月明かりが映るがごとく静かに輝いていました。さて、止息の苦行ですが、お釈迦様が鼻と口からの呼吸を止めると脳を剣で刺されたような激痛に見舞われ、さらに偉大な精神力でそれを耐えていると、耳元で轟くような爆音が聞こえ、とうとう気を失ってしまわれたのだそうです。永遠の生命を得んとして取り組んだ苦行により、お釈迦様は生命を落とす寸前まで至るのです。

 そのとき、気を失ったお釈迦様の耳元に女性の泣き声が聞こえます。その声の主は、ずっとトウ※利天(とうりてん)からお釈迦様を見守っていた生母マーヤさんでした。母の泣き声で正気を取り戻したお釈迦様は苦行では自らの求める解脱は得られないと悟られ、スジャータという娘に施された乳がゆを召上り、菩提樹の下に坐禅をなされ、東の空に金星が輝く明け方に「縁起の法」をお悟りになり、佛と成られたのであります。

 縁起とはすべてのものごとは様々な要因によって成り立っているという極当たり前のことです。永遠の生命を求めて六年も苦行をされたお釈迦様は、すべての物事は様々な要因が重なり合って存在し、それには必ず終わりがあるという小学生でも知っていることを悟られたに過ぎません。

 それでも「悟る」と「知る」では天と地ほどの開きがあります。世の中は「もちつもたれつ」と知りながら自我欲望に人生を撹乱される自分や社会に気付くとき、二五〇〇年前のお釈迦様のお悟りが現代においても色あせぬ光を放っていることを実感致します。

※トウ…の文字が入ります(常用漢字表にない漢字のため表記)

 
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